指導室に入ると、葵さんが席に座って俺を待っていた。

【 響 】 「あの、俺に何か用事ですか?」
 

 扉を閉め、指導室に入り、椅子に座っている葵さんに声をかける。

【 葵 】 「そんなにかしこまらないでいいわ。今はわたしと響君の二人だけなんだから」
【 響 】 「そう言われても……」
 

 ここは学校、しかも指導室……。
 基本的に、学生が先生から注意……それもかなり厳重な注意、または警告を受ける場所だ。そんな場所に呼びつけ
 られ、リラックスしろと言われても無理がある。

【 葵 】 「ふふ、ごめんなさい。でも、職員室で響君と話をするのはさすがに無理だと思ったから、気が引けたけど、ここを
 使わせて貰うことにしたの」
【 響 】 「いいですよ。言われてみればその通りだと思います。でも、家に帰ってからじゃダメだったんですか?」
【 葵 】 「そのつもりだったんだけど、少しでも早く響君に言っておきたくて、ほら、わたしの職業のこと気にしていたじゃ
 ない」
【 葵 】 「でも、これで、わたしの職業が何なのかわかってでしょ?」
【 響 】 「ええ、朝、なんで俺と一緒に来たのかも、全てよ〜く理解できました」
【 葵 】 「あん、そんなに拗ねないで。少しだけ驚かせちゃおうかなって、ちょっとした出来心だったんだから」
【 葵 】 「でも、黙っていたのはよくないわね。ごめんなさい。昨日のうちにきちんと説明しておけばよかったって今は反省
 してるわ」
【 響 】 「謝るほどのことじゃないですよ。ただ、まさかうちの教員、それも担任になってるなんて、あまりにサプライズが
 強烈すぎだったんで……」
【 葵 】 「それって、怒ってないってこと?」
【 響 】 「初めから怒ってなんてないです」
【 響 】 「許嫁の話といい、担任のことといい、普通に受け止めるには難しいことの連続だったんで、ちょっと戸惑ってる。
 そんな感じです」
【 葵 】 「そう、よかった。婚約相手にいきなり振られちゃったかと思ってヒヤヒヤしちゃった」
【 響 】 「婚約って、ちょっと待ってください! それは親父が勝手に決めたことで、葵さんもまだ決めたわけじゃないって
 言ってたじゃないですか!?」
【 葵 】 「でも、わたしが響君のお嫁さんになる可能性は0じゃないのよね?」
【 響 】 「それは、そうですけど。どうしたらいいのか、まだ何もわからないですよ」
【 葵 】 「ふふ、それはわたしも同じ。実際、ここに来てみたけど、今後のこと、どうするか決めてるわけじゃないから」
【 葵 】 「ただ、わたしのこと受け入れて貰えてよかった。それが今のわたしの正直な気持ちよ」
【 葵 】 「それじゃ、気持ちを改めて……家でも学校でも、これからよろしくね、暁響君」
   ニッコリと微笑みながら葵さんが俺に向かって右手を差し伸べてくる。
【 響 】 「こちらこそ、よろしくお願いします」
 

 差し伸べられた葵さんの右手を、同じく右手で握り返す。
 ドキドキしながら握り締めた葵さんの手はとても温かく、心地よい感じを与えてくれた。

【 響 】 「でも、凄いじゃないですか。取り柄なんてないって言っていたけれど、教師の資格持ってるなんて自慢していい
 レベルですよ」
【 葵 】 「ううん、凄くなんてない。教師になりたいっていう私の為に学費を出してくれたお父さんにお母さん、そして
 お爺ちゃん……」
【 葵 】 「みんなの応援に応えただけ、なれて当たり前、もし教師になれなかったら、顔向けできないわ」
【 響 】 「……」
 

 さも当たり前かのように葵さんの口から出た言葉が、グサリと胸に突き刺さる。
 みんなの期待に応える為に頑張ってきた葵さん。それに比べて俺は……。
 とにかく親父の側にいるのが嫌で、進学と同時に東京から離れた二代市にやってきた。
 けど、今住んでいる神楽邸の所有者は親父であって俺じゃない。おまけに家事全般は美里さんが面倒を
 見てくれる。
 まさに至り尽くせり状態。金持ちのボンボンだからなって、学校で陰口をたたかれても当たり前だと思う。

【 響 】 「……」
 

 前向きで行動力があり、頑張ってる葵さんに対して、『停滞している現在(いま)』を、当たり前のように
 享受している自分を恥ずかしく感じた。
 葵さんは、さらって言ってのけたけど、そんなに簡単に教員免許が取れるとは、とても思えない。
 それでも、葵さんのこの表情……。
 なって当たり前だって、本気で言ってるんだってことがよくわかる。
 自分が送っている日々の生活……少し大げさに言うと人生に対して、情けないと思う反面、真摯に生きようとして
 いる葵さんに対して憧れ、そして好感を持った。

【 葵 】 「わたしから言いたいことは以上よ。何か質問は?」
【 響 】 「いえ、ないです。まあ、全然ないわけじゃないんですけどね。でも、今聞いても仕方がなかったり意味なかったり
 するんで……」
【 響 】 「もう少し時間が経ったら、聞かせてください。俺、葵さんのこと、もっと知りたいです」
【 葵 】 「うん。わたしも、響君のこと、もっともっと知りたいわ」